1947-11-21 第1回国会 衆議院 水産委員会 第26号
さらに本船溜を中心として、昭和十年には燭光燈の新設、十一年には專用道路の開設、十二年には集荷場の新設、電話の架設等、漸を追うて漁村設備の充實をはかりましたため、次第に機船の増加をきたし、漁業の成績も向上するに至つたのであります。
さらに本船溜を中心として、昭和十年には燭光燈の新設、十一年には專用道路の開設、十二年には集荷場の新設、電話の架設等、漸を追うて漁村設備の充實をはかりましたため、次第に機船の増加をきたし、漁業の成績も向上するに至つたのであります。
更に本船溜を中心として昭和十年には燭光燈の新設、十一年には專用道路の開設、十二年には集荷場の新設、電話の架設等漸を追うて漁村設備の充実を図りたるため、次第に機船の増加を來し、漁業の成績も向上するに至れり尚越前海岸には三國港より敦賀港に至る間に、適当なる避難港を有せざる上三國港は川口の出入困難なるため、丹生郡四ヶ浦、越の、國見、坂井郡三國雄島等の漁船が時化に際し、本船溜に避難したる例も亦少なからず。